◎「笛の音」

よく晴れた夏の夕方の空の下、そこは絵に描いたようなのどかな田園風景がひろがっている。どこか片田舎の無人駅のホームにたっているぼくは、一日に一本しかない一両編成列車の車掌だ。

気持ちのいい空気をお腹いっぱい吸い込んで、もう長いことこの駅にとどまっているような気がする。
時計をみると間もなく出発の時刻である。車内をのぞきこむと席は八割がた埋まっているようだ。

駅に続くあぜ道には、乗り遅れまいと走ってくる学生達の姿が見える。ようやっとクラブを終え、急いで着替えてやってきたにちがいない。

そんなにいそがなくても大丈夫。まだ少し時間はある。

学生達のすぐあとには、助役さんをはじめとする役場勤めの人達、さらに野菜をかついだ行商のおばさんたちの一団がつづいて見える。そればかりか少しずつ間隔をおいていくつもの集団や人々がこの駅、この列車に乗ろうとこちらにむかってくる。

「みなさん急いでください。この列車は間もなく出発します。」

山のほうを向いて大きな声をかける。
ぼくの声がとどいたかどうかしらないが、みんな必死の形相で足を速めているのがわかる。

学生達、助役さんたち、行商のおばさんたちが乗り込んで、あらかた車両はいっぱいになってしまった。学校の先生たちや営業で出張してきたサラリーマンの団体が駆け込んできたころには、車内は寿司づめ状態の混雑ぶりになった。

腕時計をみるとあと数秒で定刻だ。

しかし列車に乗り込む人達はあとをたたない。駅につづくあぜ道にも、人影が途絶える気配はない。

時間だ。

車掌のぼくは、ドアからあふれた人たちをなんとか押し込め、出発の笛を白手袋の右手にしっかりとにぎる。待ってくれと懇願するように手をふる農家のおじさんを横目にみながら、車掌室にもどると、運転席から早く列車をだすようにうながすベルがいらだだしげに鳴り響いていた。

笛をくわえたぼくの足元を、赤いランドセルの女の子がさっとすりぬけて車掌室に入ってきてしまった。

「だめだよ。ここは」と言いかけたぼくを押し退けるように、今度は綺麗な着こなしの和服の婦人たちが車掌室に乗り込んできた。車内にはもう人が乗れる余地はなかった。

時間はすぎている。運転手からのベルがけたたましく鳴る。扉を閉めなければ。それがぼくの仕事だ。あわてて開閉レバーを下げる。しかしだれかの手がはさまって完全にはしまらない。手がはさまっているふたつめのドアにむかう間にも、息をきらせた人達が車掌室に駆け込んでいくのが見える。

ドアのむこうからはさまれた手の主か、「いたいいたい。」と声がする。

ドアを左右に、力いっぱい開き、手がなかにはいるのを待つ。しかし逆からの圧力が強いのか、ひっこむどころかさらに肩まで押し出され、腕いっぽんがまるまるでてくる始末だ。

こんなことははじめてだ。見渡す限り人家もみあたらないような無人駅の単線列車が、いったいどこにこんなにいたのかと思うくらい人であふれかえっている。そればかりかまだ乗ろうとする人達があとをたたない。

もうだめだ。これ以上は乗せることは出来ない。容量的にも、時間的にも無理なのだ。

ぼくは出発の笛を力一杯吹く。

と同時に、列車はゆっくりと動き出した。ぼくは車掌室にもどろうとするが、そこはもうすでに人でいっぱいで、ぼくの居場所などとうになく、ただホームに立って、乗り遅れた人達とともに列車を見送るしかなかった。

背中には、何十人分もの息をきらすゼイゼイいう声と足音、そしてなぜ私達を残して列車を発車させたのかと無言で問う批難と恨みの視線を痛いほど感じていて、後ろを振り返ることができなかった。

小さくなった列車のドアから、にょっきりと出ていた腕が、こちらにむかって「バイバイ」と手を振るのが見えた。

◎「鳥」

先日、ひさしぶりに夢をみた。

夢のなかで、横になりながら、ぼんやりと自分はいつ死ぬのだろうと考えていた。
べつに深刻ではなく、ただなんとなくそれほど遠い先ではないように感じていると、不意に中学生くらいの、どこか息子に似たこどもがあらわれた。

しばらく黙って横に立っていたが、そのうち、ぽつりとこういった。
「大丈夫だよ、『わぞん』だから。」
それを聞いて、ぼくは半身を持ち上げ、そのこどもにたずねてみる。
「なんだよ、その『わぞん』って。」
突然でてきたことばが、はじめて耳にするものだったので、少々戸惑ったのだと思う。
するとこどもはゆっくりと説明しだした。
「『わ』はまわりと仲良くやっていく『和』で、『ぞん』は残るという意味の『存』だよ。」
「それで『わぞん』か。」
「そう、だから大丈夫。まだまだ生きるよ。」

それを聞いて、なるほどと思いながらも、こどもに諭されたのを癪に感じたのか、ひとこと反駁してみせないわけにはいかなくなった。

「それは『わぞん』じゃなくて、『わぞう』って読むんだ。フランス語で『鳥』のことだよ。」
自分でもなんだかとんちんかんなことをいっているなとわかっていたが、むりやり納得するためか、もう一度くりかえしていった。
「そうだよ、『わぞう』のことだ。『和』、つまりなごやかさが増していくという願いが込められた鳥のことだ。」

むきになって自説を押し付けようとする姿は、我ながら滑稽でしかなかったが、どうにもやめることができなかった。
斜め横にいるこどもは、困ったような笑い顔をしてこちらを見ていたが、そのうちだんだんうっすらとしていき、しまいにはいなくなってしまった。

ぼくはふたたび横になり、片方の眼のまわりが黄色で、もう一方のまわりが赤い、くちばしの鋭い鳥を思い描きながら、静かに目を閉じた。

◎「おいんこいん」

グラフィカルな淵へと降りていく渡り廊下のようなひとすじの道を、私は密かに「おいんこいん」とよんでいた。その国のだれかがそれを指し示すのに使ったことばをうまく聞き取れず、なんとなくの響きをおもしろがって、ろくに調べもしないままそう呼んでいた。

灰色と黄土色が複雑にいりみだれた岩肌は両側にそびえたち、どこからか湧きでた水がその表面をつたってゆっくりと滴っている。ごつごつの地面から、ほんの少しばかり浮かぶように架けられた「おいんこいん」は、最初にもっていたと思われる木の瑞々しさを長い時間をかけて置き忘れ、鈍い黒となって、この無機質な風景の一部として同化している。ずっとのびた先は鋭角に曲がっていて、私はそれをエッシャーのような直角だと思って見ている。曲がったさきは大きな岩のうしろに隠れ、ここからは臨むことはできない。

「どうしました?」

ながく下りてきた道の真ん中で、問いかけられた友人の声に、ふと我にかえる。

私たちは、この斜面を木の道「おいんこいん」をつたって、もう何時間も降りてきたのである。振り返ると友人の耳にかかった眼鏡の柄のさきに、稜線にたつ幾本かの樹木が、霞んだ空気のなか、くねるようにして立っているのが見てとれた。眼を合わせることができないのは、明らかに私が躊躇していたからである。

果たして、このまま「おいんこいん」を下っていくべきなのだろうか。

いやもっと正確にいうなら、「おいんこいん」の終着点にあるものは、これほどの危険を冒してまでまみえる価値があるのだろうか。

いいだしたのは私のほうである。

友人のベッドサイドに陣取り、彼の目が覚めるのを待って、こう告げた。

「今日こそ『おいんこいん』に出かけようと思うが、どうだ。」

それまで、私たちは何キロにもわたる木の廊下をおりていこうかを迷って、山小屋のようなゲストハウスに、すでに一週間も滞在していた。ようやく意を決しても、滝のような雨が窓を打ちつける激しい音に目が覚め、あきらめの気持ちをかかえながら二度寝に耽ってきた。かようにこの地は雨が多く、ましてや雨期の今は、月のうち二十日以上が降り止まない雨に四方をかこまれるのである。

しかし今朝ばかりは違った。雨音ではやくに目覚める習慣がついていたのだが、その忌まわしい音がないことがかえって早起きをさせたのである。

起き抜けの彼は驚くでもなく、無言でうなずいた。私たちは朝日を受けながら、靴ひもをしっかりと結び、簡単な朝食を食べて「おいんこいん」へとでかけたのだった。

「どうしました?」

そう問いかける友人の顔はみるみるうちに翳っていった。それが私の躊躇のせいなどではないことは、あたり一面の光が、すさまじいばかりの勢いで奪われていくことでもわかる。

あっと思う間もなく、大粒の水のかたまりが額を打ちつけだした。

雨だ。雨が降り出したのだ。

私の躊躇は、はっきりとした姿となって現れたのである。

ダーっという音が地響きのようにして、四方を水浸しにしてしまった。うかつにも軽装で来てしまった私たちは宿るところもないまま、ただただ、激しい雨に打ち続けられるばかりであった。
やがて「おいんこいん」の両脇は、雨水でできた川にふさがれ、濁流となって私たちの足下まで浸してきた。豪雨のカーテンは視界をはばみ、進むことももどることもままならない。くるぶしまである水はすっかり「おいんこいん」を覆ってしまった。

私たちは片方の腕で顔を守り、もう一方の手はしっかりと握りあっていた。ゆるやかに下ってきたと思った「おいんこいん」は見上げると急な勾配を持った、まったく違った景色と気配を漂わせていた。

踏ん張った足は一歩も動かせず。冷えてきた身体は、この雨がこの先、数日にわたって降り続けるのだという、ある確信のような予感にさらに震えていた。

私は握っていた手に力を込め、だれにも聴こえない小さな声で、

「進むことも、もどることも‥」

と発するのが精一杯であった。

◎「ひだりがわ」

青い液体を手につけ、こするように泡立てる。その手もとから目をあげると、正面の大きな鏡に、自分の顔を見つけた。

なんだかとても久しぶりに会った友人のような、どこかよそよそしさを感じ、いつもならすぐに視線をそらすのだが、きょうはどうしてか、まじまじとみつめかえしてしまった。

手探りで流れる水を止めながら、おやと思った。

左目が右目より少しばかり大きいのである。
さらにそのあたりの観察を続けてみる。正確にいえば、左のまぶたがより開いているようなのだ。そのせいか黒目も右目より大きいように感じる。私の黒目はいま、鏡の前にたって、鏡のなかの私の黒目をじっと見ている。すると左の黒目はやや外側にゆっくりと動き、ぴたりととまる。これではちょっとした斜視なのではないかと、いままで思わなかった自分の黒目の位置に感心したりもする。

深夜のスタジオのトイレのドアの向こうには人の気配はない。それをいいことにさらに自分の顔をみつめてみる。

不細工だなと、つくづく思う。こんな風にさらしながら、ずいぶん長いこと生きてきたのかと、がっかりもする。

ふと大道寺将司の詠んだ句が浮かんできた。

『おほかたは器量不足やふところ手』

たいがいは器量も度量もなければ、才能もない。そんなたいがいの片隅にひっそりといる、こんな顔など、どうということもない。

カサヴェデスの映画にも「一番幸せな人とは、気楽な人のことだ。」という台詞があったなと思い出す。

映画館ではきまって、スクリーンに向かって少し前方の左端に陣取ることにしている。

映画の仕事についたころ、はじめて初号というものを観るために行った、現像所の大きな試写室でのことだった。先輩にあたるひとが、このあたりが一番音のバランスがいいんだよと教えてくれたのが、この左端の席だった。

その先輩は穏やかで、心優しく、なにより他に先んじて何かをするようことはしなかった。いうなれば進んでいい席に座ろうとはしない、そんなタイプのひとだった。そんな欲のなさに、もどかしい気持ちを持った時期もあったが、いまはない。それでよかったのだと思う。だからこそ25年も前に教えられた、左端の席にずっと座りつづけている。顔を少しばかり右に向けて、ほんのわずかに傾斜角のある左目に意識を持っていくのが、上映前の習わしだ。

鏡のなかの左目のあたりを注視しながら、だから左目が大きくなったのだろうかと、やや自重気味に問いかける。

深夜の馬鹿げた時間はここまでだと、私は鏡から目を離し、ハンカチで手を拭いた。去り際に、もう一度鏡を見ると、不思議なことが起こっていた。

つい今しがたより、あきらかに左目あたりが、いや、顔の左側がふくれているのだ。前のめりに、息をこらして、鏡をみつめると、まるで風船ガムをふくらますように、ゆっくりと、ゆっくりと左側がふくれていく。

今起きていることが、一体何なのかわからないまま、私は声にならない音を発して、かたく両方の目を閉じた。

こんなあやかしに負けまいと、力一杯まぶたを合わせる。全感覚を顔に集中するが、その左側になんの違和感も感じることができない。

たまゆらの幻覚であるといいきかせ、目をあける。するとそこには、相変わらず顔の左側を大きくふくらませた私の顔があるではないか。

私はふたたび、きつく目をとじた。

ゆがんでしまったのは、この私の顔なのか、それとも鏡のなかの風景なのか、ひどく動揺し、目を閉じたまま、そこに立ちつくすしかなかった。

どれだけの時間がたったのだろうか。私は意を決して、ふたつの手をそっと持ち上げる。

また大道寺の詩がやってきた。

『くさめしてこの世の貌にもどりけり』

静かに口ずさんで、そして両のひらを、左右の頬に近づけた。

◎「蜘蛛」

水族館の前の広場で、「ウォーン、ウォーン」と大きな声が響いていた。

リュックサックを背負った、太って身体の大きい男が、まっすぐみつめるような、なにも見ていないような目で、発していた。
彼のすぐわきにはふたりの付き添い人らしき男女がいて、ひとりはなだめるように彼の手をにぎり、もうひとりは途方に暮れてあたりを見まわしていた。私は彼の視線のひだりがわに立ち、一体彼は何歳なのだろうと考えていた。

「ウォーン、ウォーン」

それはひとの声というより、どこか禽獣類の鳴き声に似ていた。耳に突きいってくるその叫びの皮を剝いで、そのなかにある声を聞き取ろうとしてみる。音は声にはならない。しかしその音には強い意思があるように思った。彼は叫ぶことをやめない。全身でなにかを拒絶しているのか、全霊でなにかに抗議しているのか。

「ウォーン、ウォーン」

休日の水族館の多くのひとが行き交う広場で、やりどころのない叫びはどこまでも遠く広がっていった。

深夜、行くあてを失った「ウォーン、ウォーン」は残響となって私の耳に巣食い、もぞもぞとかゆくなって私の目を覚まさせた。

閉め切ったはずの六畳間に、風が吹いていた。
ひんやりとした風はふとんから顔をだしている私のこめかみのすぐうえだけに当たっている。額の下部分だけが、細長く吹きつけてくる風に晒されて冷たくなっている。風を避けようとして、顔を回転させ、天井を見上げた。
ただ白く塗られただけのせいか、薄明かりのなかでも、黒くて小さい点があるのがわかった。汚れかと思って見ていると、ゆっくり右に動き出した。

どうやら蜘蛛のようである。蜘蛛はあまり好きではないが、部屋にいる小さいものはさほどいやではない。好ましくさえ思っているその小さな蜘蛛の動きを、覚めて閉じることができなくなったまなこで追ってみることにした。蜘蛛はなにかに警戒しているかのように、ゆっくりと、ほんとうにゆっくりと動いた。
部屋の天井をぐるりと半周するのを、長い時間見ていた。ときどき、額にだけあたる風をよけようと、右に左に首を振ったりした。

蜘蛛がようやく最初にいた位置にまで戻ってきたころ、私は眠りに落ちようとしていた。風はいつの間にかやんでいた。薄れていく意識のなかで、私は「ウォーン、ウォーン」と叫ぶ私自身の姿をはっきりと見ていた。