<高円寺音人の紹介>

「演る」って言葉がある。

なんと、辞書には無い言葉なんです。

「演じる」「演奏する」を、フラットに言うための当て字みたいですね。

でもその言葉には、台本を見ながら演技をしたり、

譜面を見ながら演奏するような構えたものではない気軽さを感じませんか?

「さぁ、演ろうかぁ~」みたいなリラックスした緩さや、

突発的に集まって即興的に演るような雰囲気の感じが。

音楽が日常的に生活の中にある環境と空気。

自分の演りたい音楽を求めてだったのか、

ニューオーリンズに単身渡っていたギタリストのイシカワさん。

イシカワさんの音楽を聴かせてもらい、お話も聞いてみて、

もしかしたらたぶん、「演る」を彼の地で体感したのではないかと思った。

今回、お話を聞けたのはもちろん楽しいことだったけど、

イシカワさんの音を聴けば漠然とした「演る」が、

音を通してより体感できるのだと思いましたね。

                               木澤聡


<今やっている音楽活動について教えてください>

バンドをひとつやっているのと、「JIROKICHI」で定期的に「ヒロナリむちゃブリSession」というセッションを演っています。もう60回ちょいぐらいになります。

3月12日には「JIROKICHI」45周年記念スペシャル・ライブも豪華ゲストを迎えて予定されています。

いつも同じメンバーというわけでは無くて、「むちゃブリ」というだけにですね~、毎回違うというのがコンセプトなんです。基本的にこの人とこの人は一緒に演ったことはないだろう、というので人選して演っています。

セッションなので、その日限りのステージです。本番までにスケジュールが合えば一度だけでも合わせますけど、無理ならば当日だけって感じで。

基本はボーカルの人がメインになるから、その人が持ってきた曲を演ることがまず第一で、あとはこちらから「この曲、演ってみない」ってこともあります。

完璧に企画モノとして演ったりもしたこともあるんです。
落語の人を呼んでとか。落語と音楽を交互に演るんです。僕が演りたかったことと、実質セッション当日に演ったことのちょっとしたズレみたいなのもあったんですけど、落語の人が酒にまつわる小話を演って、その次にはバンドで酒にまつわるような曲を演る。
ウィスキーがなんだという曲かもしれない、そしたら今度はこっちが「When a Man Loves a Woman(男が女を愛する時)」みたいな曲を演ったら、その次にはそういう色恋噺で一席。
そのときは僕がセットアップした曲をボーカルに歌ってもらって。
お芝居バージョンみたいなのもいいかもね。

この人とこの人が演ったらいいだろうっていうのも、50回以上演るとさすがにネタ切れして、「むちゃブリ」と言ってもこれ以上考えることが無理になってきた。
なので、一昨年ぐらいからちょっとペースダウンしてますけど。ほぼレギュラーみたいな人もいて、仙波清彦さんもそうなんですけど、それだけでもかなり「むちゃブリ」してる感じなんですけど。(笑)

楽しいですよ。めんどくさいこともあるけど・・。(笑)


<ニューオーリンズに行くキッカケは>

もともとバンドを演り出したときには、歌を歌っていました。
ボーカリストとしてバンド組んでたんですけど、ニューオーリンズに渡ってからはあんまり歌わなくなって、向こうではギタリストというスタンスでいました。

ニューオーリンズに行ったのは1994年なんですよ。
行くキッカケは確かにあって、もともとニューオーリンズの音楽が好きだったのもあるんですが、1991年に当時85歳だった「アル・ブラッサード」っていうニューオーリンズ生まれで、ニューオーリンズで住んでいるミュージシャン、ピアニスト&シンガーのおじいさんがいたんですけど、その人を「JIROKICHI」のオーナーが呼んでライブを観る機会があったんです。
そのおじいさんの空気感が凄くて!
でもそんなに上手いとかじゃないんです。そんな人がミュージシャンとしている街って、一回行ってみたいなぁ~って。ますます、ニューオーリンズに対する憧れというか、想いがね。

それが1991年だったんですけど、その2年後の1993年に「JIROKICHI」がもう一度「アル・ブラッサード」を招聘するわけなんですよ。
そんときは87歳。前回彼を連れてきたオーナーもそんな余裕が無かったし、さすがにひとりで来いってわけにはいかないから、彼がいつも演奏している店でシンガーを演っていた当時40歳ぐらいの「ノラ・ウィクステッド」って女性に一緒に連れて来てくれって言って、その代わりキミにも歌ってもらうからってことで。

彼女が日本で何本か演ったライブのほぼ全部を手伝ったんですね。それが僕がニューオーリンズに行く、行けるキッカケになったんです。
ノラさんが「もしニューオーリンズに来たかったら、わたしの家にホームステイしていいから」って。そんなん言うたら行くじゃないですか。(笑)
その翌年1994年に初めてニューオーリンズに行って3ヶ月お世話になって、そこからです。1995年にも3ヶ月行き、1996年からはそのまま行きっ放し!
向こうに部屋を借りて。1994年から数えると、延べで13年。

(横で呑んでた中田一郎さんが)みんな向こうで野タレ死んでんじゃないかって言ってたよなぁ~。(大笑)


<ニューオーリンズ武者修行時代>

ニューオーリンズの音楽が自分のルーツってわけじゃなかったんだけど、ニューオーリンズと関わりができる少し前に「ドクター・ジョン」とか「アラン・トゥーサン」とか好きになって、タイミングも良かったんですね。

向こうでは、いろんなバンドに参加して、箱バン的なこともやったり。
そうしてミュージシャンのつながりができて、またいろんなバンドに声をかけてもらって。

自分にとっては憧れの世界じゃないですか。でも、ニューオーリンズでの生活が何年か過ぎたあと、その憧れの世界の人たちみんなと共演することができた。「ああ、夢叶うんだなぁ~」と思いましたね。

もう、向こうでの話は語れないぐらいたくさんありますよ、ホンマに!


<ニューオーリンズから日本に戻って>

日本に戻ってきたのは、キッカケやタイミングもあったんだけど、でもそんなことがあっても「それでもニューオーリンズにまだいたい!」って固執するというものが無くなった。
そのときはどんな気持ちだったのか判らないけど、ちょっと疲れたなぁ~っていうのはあったのかも。それでも寂しさはありましたよ。10年以上いたんですから。

戻ってきてからは、こっちで音楽を演ることへの不安の方が多かったですよ。ニューオーリンズで演っているときって、金銭的にはそんなに恵まれたことにはなってなかったけど、音楽を演る精神論としてすごく楽しかったし、よかったんですよ。
なかには面倒臭ぁ~いミュージシャンもいたからイヤな思いもしましたけど。(笑)

一抹の寂しさも感じながら戻ってきて「さぁ、どうするか」ってときに、いろいろあちこちから声をかけてもらえるもんだと思っていたんですよ。
「一緒にやろうよ、これこれこんな風にさぁ~」って感じで。ところが、ことごとくほとんどの人に「あっ、帰ってきたんだ。じゃあ何かあったら今度呼んでよ!」って言われて、「ええ?!」って。呼んでもらえないのかなという思いと、みんないったいオレにそんな発信力があると思っているのかな?と思ったね。
でも、なにかそういう風なものを俺に持ってくれてるのかなとも思っていたときに、ちょっとだけケンカをしようという意識になったんです。
「じゃあオレが呼んだらみんなホンマに来るんか?ホンマに演ってくれんの!よし、この際あいつを呼んだろ!!」って。(笑)

それが「むちゃブリSession」ということになったんです。

もうひとつは、いろんなライブの情報で「なんとかセッション」って書いてあるのがものすごく多くて、観に行くと毎月同じ人と同じ音楽を演ってるのに「なんとかセッション」って言ってる。
これはバンドを演る気概が無いんやなと思いましたよ。
セッションってもっと突発的なことであるハズなのに、そんな馴れ合いで演ってて何がセッションなんやろ?って。そう思ったときに「そんなんキライや!」ってなって、演ったことのない人同士で演ってみようって。

他にも常に新しいこと、面白いことを演っていこうってミュージシャンはいますよ。まったくいないわけでは無いんです。圧倒的に少ないとは思うけど。


<高円寺そして「JIROKICHI」との出会い>

高円寺からニューオーリンズに渡って、高円寺に戻ってきた。どれだけ高円寺が好きなんやって話ですよ。(笑)

もともとは京都なんです。東京に出てきて高円寺に来て、19歳のときにミュージシャンをやるホームグラウンドとして「JIROKICHI」に出会いました。
最初は1年半か2年ぐらいスタッフとして働いてて、そこからの付き合いなんですよ。もう35年ぐらいにはなります。

たまたま高円寺にたどり着いた。それまでは高円寺も「JIROKICHI」も知らなかった。友だちが先に「JIROKICHI」でバイトしてたので呑みに行ったりしてて、人が足りないからって言うんで紛れ込んだって感じだったんですよ。(笑)

高円寺は変わってない。ニューオーリンズに足かけ13年行って戻ってきたときも変わったとは思わなかった。
「JIROKICHI」はもちろん、「稲生座」も「ペンギンハウス」もあまり変わらずあったし。ほぼなにも変わっていなかったけど、週末に人が増えたな~とは思いましたね。もう少しアングラな空気感があったのが薄れたなぁ~とは思いましたね。帰ってきてからの11年間の方が「高円寺変わったなぁ~」と思いますね。

高円寺はこじんまりとしたところがいいですね。生まれが京都で、京都の街も自転車で行動できるような街なんです。高円寺も京都を小さくしたようなところがありますね。

こじんまりしてるんだけど呑み屋の数は多いし、朝までいろんなところがやってるし、そういう賑やかさがこじんまりしていてもあるからいいですよね。動きやすくていいです。

良くも悪くも「村」だから、面倒臭いこともありますけどね。(笑)


<お店「SWAMP」のこと>

店は始めて6年半経ちます。
飲食店はこれが初めてなんですが、戻ってきて、厄年も終えて、さぁって音楽だけでバリバリ稼ごうって気はなかったし、就職するなんて考えてもなかったし。自分が楽しめる場所として、食い扶持として、店をやったってところですかね。

音楽についてのマニアックさはそれほどないので、ロックバーみたいなコテコテのお店というよりも居心地の良さというか、いろんな人が来てくれて、ここでいろんなことを発信してくれたらなぁとは思っていますね。


<イシカワさんの演っている音楽を20秒でPRすると?>

ニューオーリンズ料理で「ガンボ」って料理があるんですけど、言ってしまえば「ごった煮」なんですよ。
そういう「ごった煮」のようないろんな要素のある、どんなことでもいいからいろんな音楽が演ってみたい。そういうのが凝縮されるようなバンドであっての音楽が演りたいですね。


<あなたにとっての「音楽」とは?一言で>

自分の意思で続きをずっと見られるとしたら「(まだまだ続きが見られる)楽しい夢」ですかね、うん。


高円寺「SWAMP」にて 2019.12.26 THU
取材:木澤聡
写真:小野千明


<イシカワヒロナリさんの活動はこちらのリンク先よりご覧ください>

<「高円寺SWAMP」の情報はこちらのリンク先よりご覧ください>