(1)医学講座「予防に勝る治療なし!」

「一度自転車に乗れたら、一生乗り方は忘れないものだよ、ホッホッホ。」

近くの寺の住職は、境内で練習しているぼくら小学生たちにそう教えてくれた。当時は洒落た子供用の自転車などは、いたく高価で手が出なかった。きっと金持ちのご子息ばかりをターゲットにしていたのだろう。やれ10段ギヤだのリアバッグだの、サイレンだのといった付属品が頼みもしないのにたくさんついてきて、かっこいいのはわかるのだが、たいがいの貧乏人には無理な、手の届かない代物だった。

だからぼくらの自転車は、ママチャリや配達用の大人自転車ばかりだった。ママチャリは、かろうじてつま先立てれば下までペダルがいくが、大人自転車はさすがに三角乗りしないことにはどうにもならなかった。いきなりの自転車教習が三角乗りというのも、すでに雑技団レベルである。そんなぼくらを、掃除しながらやさしく見つめてくれた住職に親近感を抱いたのであった。

そんなある日、

「おじーちゃーん!」

そういいながら、きれいなお母さんと現れた住職の孫らしいクソガキが、最新式のゴテゴテした子供用自転車に乗っていたときには、聖職者に対する不信心を強く抱いたものである。

とはいえその言葉通り、そのあと自転車に乗れるようになってからは、今日まで「あれ、どうだったっけ?」と戸惑うことはない。

果たしてライブはどうだろうか。自転車と同じ要領で、一度ライブやれたら、そのさきずっとやれるということにはならないものか。というのも毎回、はじめてのような、へんな緊張感に包まれ、「あれ、どうだったっけ?」となってしまうのだ。しかもこのところ毎月やっていたライブだったが、2月がなかった分、ずいぶんとご無沙汰だ。となると必然的に「あれ?」の度合いもはなはだしくなるというものだ。

やはりライブは自転車とは違うということを、あらためて感じる。今月は26日の土曜日だ。まずいな、なんだか緊張してきた。こうなったら毎日ライブやりたいな。やられたほうはたまらないだろうから、やらないけど。

以前やったライブを聴いて思い出そう。ほぼアルツハイマーの予防講座みたいだ。ちなみに、今日のみみフラオリジナルは「潮騒の夕暮れ」。キーはEマイナー。三拍子。えーと、お昼ごはんは、なに食べたっけ?

註:全講座とも副教材としてサウンドクラウドの音源を使用していますので、勉学の助けにしていただきたい。https://soundcloud.com/stream

(2)革命講座「ライブまであと1マイル」

ライララーイ、ライラララライラライって、いよいよライブまで1週間となり、盛り上がってきましたチェ・耳なしです。

こうしてサイモン&ガーファンクルとか聴いていると、やっぱりフォークには革命と変革の匂いがないとダメじゃないかと、そんなことを思うのです。日本のお父さんがどうのこうのとか、そんなことはどうでもいい。もっともっと社会に、運動に、政治に参加していこう、これからはチェ・耳なしでいくんだと、つい2分まえくらいに決意したところです。

とはいえ、すぐに革命の曲ができるわけでもないので、革命はおいおいということになりますね。来る3月26日は、いつものラインナップに革命の予感を少し醸す程度になろうかと思いますが、「チェ・耳なし&マオ・フランケン」って、どうなんだろうか。なんかすぐに影響を受けて、かぶれてしまう体質をどうにかしたいとは常々反省しているのですが、こうしてたぎってくる革命の意思はどうにもとまりません。

みなさんもどうか3月26日(土)の夜、世界の中心武蔵小山で「ヴ・ナロード!」と叫んでみようではありませんか。

そのための予習としてみみフラ唯一の革命的ソング「牛になりたい」をリンクしました。聴いてから来るか、来てから聴くか。

たくさんの革命同志の参加を願いますが、反革命分子も大歓迎です。

(3)緊急謝罪「宣伝に誤りあり!」

土下座。まことにあいすみません。

いよいよ明日にせまった耳なしフランケンライブ、その名も「花見うた、船酔い」として、日々こうして宣伝活動にいそしんできました。3月26日(土)という日にしたのも、会場のライブカフェ「アゲイン」からほどなく行った、かむろ坂における桜の並木道、いや桜の切り通しとでもいうべき見事な景色を当て込んでのものでした。

つまりです。桜をダシにですね、ライブのお誘いを仕掛けてきたわけです。それがですね、ちょっといいにくいんですが、今朝、愛犬とともに、桜や桜、いかばかかりなものかと訪れたところ、驚愕。なんと、いくつかの枝には花はついているものの、ずらっと並んだそのほとんどがいわば「枯れ木」状態ではありませんか。花満開というにはほど遠い。しまったこれは、自分としたことが、「開花宣言」を「満開宣言」と勘違いしてしまったと、いまさらに気がついたのです。

ということで、冒頭の通り、土下座。まことにあいすみません。明日、ライブの前に、さんざん宣伝文句に使わせてもらった「かむろ坂の桜」を見に出かけられましても、つぼみがいいところ、いやもちろん、何本かは咲いているのですよ。しかし1週間ほど早すぎました。満開ならず。しかし、つぼみもまた可愛いと思わないこともないので、つぼみを愛でにでかけ、ひょっこりライブカフェ「アゲイン」に立ち寄ってくださるぶんには、それはたいへんありがたいことであります。

直前ではありますが、ここにあらためてライブのタイトルを「花見うた、船酔い」から「つぼみうた、よさこい」への変更を高らかに宣言し、みなさまのご来場をこころよりお待ちする次第であります。

(4)国際化講座「つながれば、ピピッピピー!」

インターネットの到来とともに「世界とつながろう」というフレーズが、それについて語るとき、いつもグリコのおまけのようについてきましたね。ぼくは、ほんとかねと思っていたわけですよ。単にニフティとの差別化を企図しているだけにしか聞こえませんでした。

とはいえ、原理的にはたしかに通信の触手は、果てしなく広がったのは事実でしょう。それはわかります。しかしその事実と、自分の生活の実際は、必ずしも一致しないわけで、ようは自分には関係のない話ということです。たとえば孫さんや堀江さんや安倍さんなどという、世界がぐっと身近なひとたちには、このうえない効用はあるはずです。でもそんなひとは、ごくごく少ない。ほんの数パーセントでしょう。もうほとんどのひとにとっては「世界とつながろう」にもつながりようがない。その相手もツテもない。

ぼくがいま思うのは、そうでありながらもなんか期待する、つまり「世界とつながろう」と姑息に願う気持ちがありやしないかということです。まあ具体的には、サウンドクラウドをはじめるにあたって、楽曲の紹介欄を英語で書いているんですよ。書きながら、でもこれってどうなのよ、なんて思いながら書いている。こうなればこのみみフラのページも英語にしちゃえと思わなくもないのですが、英語にしたからといって、武蔵小山まではるばるケープタウンからライブを聞きにきてくれるひとが現れるとは、到底思えないわけです。むしろ、近しい友人たちを失うかもしれない危険性のほうがよっぽど大きい。

みみフラにとって「世界」とは武蔵小山か大岡山、西小山、まあせいぜい行って学芸大学がいいところですよ。国際化なんていってもねえ、あれ、でもこのあいだ「りゅえる」の端っこにある「江戸一」で飲んでたら、カウンターのあちこちで英語が飛び交っていたな。ちょっと前に行った群馬の温泉は、混浴なのに外人ばかりだったし‥。会社によっては日本語禁止のところもあるという。うーん、ひょっとしてぼくらの知らないところで着々と「国際化」は進んでいるのかもしれない。いつしか「みみフラライブ」にもロンドンからのお客さんが来たりしてね。

フランケン、これはうかうかしていられないかもよ。英語の時代到来。ディス・イズ・アヘン!これは阿片です。ピピッピピー。

(5)戦争講座「教えてください、未来は大丈夫?」

花と怒涛、またはシュトゥルム・ウント・ドランクな日和とでも申しましょうか。あたたかさと寒さが、それこそ矢継ぎ早にいれかわる、まさに人生劇場そのものかと思います。ご機嫌いかがでしょうか、チェ・ぺ・ハインリッヒ耳なしです。

こうして3月26日のライブに向けて、さまざまなジャンルで講座を設けてまいりましたが、いよいよ最終話となります。すなわち人生、そして諍い。

かつて、燎原の火のごとく駆ける革命のさなか、「若きウェルテルの悩み」に、恋とはかくも残酷で無情なものと知り、デカダンとなってはツアラトストラの言葉に耳を傾けましたね。そんなあなたも、このところの世界情勢にはたいそう心を痛めているにちがいありません。ほんとうなら、科学と技術とこころが発展して、もっともっと幸せになっているはずなのに、いまやまわりを見渡せば、戦争の世紀といわれた20世紀にも劣らない、ひどい紛争や戦争に満ちあふれているではありませんか。

「サウルの息子」という映画があります。第二次大戦下のユダヤ人収容所の話です。誰一人として生きて戻ることのないガス室から、ある日、ひとりの少年がかすかな息をしてでてきました。しかしすぐさま殺されてしまうのですが、それを見かけたサウルは、この少年の埋葬を強く、激しく願います。というのも、サウルにとって、この子は「奇跡」にほかならないからです。なぜならあのガス室から生きてでてきたのですから。サウルは「奇跡」を灰にしてはいけないと思うのです。もしもこの「奇跡」を灰にしてしまったら、「希望」はもう二度とわたしたちの前に現れないからです。サウルはこの「奇跡」の埋葬と「希望」の再生に、全身全霊をもって固執し行動します。

同胞をガス室に送り、積み上げ、燃やして、灰にし、川に撒く。そして自らも数ヶ月後には殺される、そんなゾンダーコマンドであるサウルにどんな「希望」があったというのでしょう。でもサウルは最後の最後まで「希望」の再生を信じて、あきらめないのです。それはサウル自身の希望や幸せではなく、もっとずっとあと、これから生まれてくる人たちの「希望」です。そのためにサウルは危険をかえりみない。この映画は、その必死で無償の行いを、丁寧で慈愛に満ちた目線で追っていきます。

日々やまない「持たざるもの」のテロと「持てるもの」による空爆攻撃。100万人の民族大移動。いまヨーロッパや中東、そしてアフリカに燃えているのは、何かを生み出す改革の火ではなく、何も生み出さない破壊の炎です。

まったくもって、せめてもの音楽です。こうして小さいながらもライブができて、友人たちと一緒に音楽を楽しむことのできる幸せを、少しばかり感じているのです。

未来は大丈夫でしょうか。サウルのようにひとりひとりが行動すれば、それはなんとかなるかもしれませんが、さてどうでしょう。

(6)フランケン仏文学講座「ロートレアモン」

「保育園落ちた日本死ね」が話題になっているのは、はからずも「ゲスの極み乙女」と同じ、「ことば」という所作によるものだという指摘は、寡聞にして未だ聞かない。

それは、一見してまったく関係のないふたつのことばを出会わせることによって起こるイメージのショックにほかならない。そしてそれは、よくよく見るとあながちイメージの連鎖が起こらないわけでもないという、ある意味で絶妙な言語感覚の上に立った、確信犯としての仕業でもある。

そのときどうしても思い起こさずにいられないのは、ロートレアモンによる「マルドロールの歌」の一節、「解剖台の上のミシンとこうもり傘の偶然の出会いのように美しい」である。「解剖台の上のミシン」と「こうもり傘」が出会ったときに期せずして生まれることばの化学反応を、「保育園」にしても「ゲス」にしても持っているのだ。

つまり「保育園落ちた」と「日本死ね」、「ゲスの極み」と「乙女」は、それぞれまったくもって相反するようでありながら、しかしてよく見るとなんとなしにイメージが結びつかないこともない、そんな境界線上にあるのだ。

少なくとも「ゲスの極み乙女」を命名したひとは、ロートレアモンを知っているし、シュールレアリスムになんらかの影響を受けていると推察する。つまりシニフィアンによるシニフィエへの逆襲を企図しているのである。これはもう少しさかのぼるとソシュールの「一般言語学講義」にまでおよぶのだが、紙面の都合で割愛せざるを得ない。もしこの続きを聞きたいと思うのであれば、3月26日(土)に、武蔵小山ライブカフェ「アゲイン」にて話そうと思うので、そちらに足を運んでもらいたい。19時より。それまでに今日のサウンドクラウド「風のなかで」を予習しておいてください。

時間厳守で、遅刻は欠席とみなすので注意すること。

以上。

(7)恋愛講座「ライブまで3センチ」

もうすぐ春だからでしょうか、昨夜はひさしぶりにエッチな夢をみてしまいました。こんにちは、ペ・耳なしです。

やはり革命より恋愛が大切ではないかとの結論に達しまして、きょうから愛の伝道師「ぺ・耳なし&ヨンジュン・フランケン」として、気持ちもあらたに活動を継続していこうと思います。

恋に恋した時期なんて、もう弥生時代くらい前かな、などと場末の居酒屋で話していたときもありました。しかし、陽のあたたかさとこの年頃で、なんだかふたたびの「春」を迎える予感に満ちているようなのです。

やはり人生はシンメトリー。ちょうど35歳くらいを真ん中にして山をつくり、左右対称の表を作ってみましょう。0歳が生誕で、70歳で死とすると、まもなく55歳になろうとしているいまは、左の図では15歳。人生シンメトリー理論では、まさにいまこそ「逆・青春ど真ん中」といえるのではないでしょうか。

人生の時間は「不可逆的」ではなく、「可逆的」なのです。わたくしペ・耳なしは、そのことに気がついて以来、自らの内側から発露する恋心を押しとどめる理性を捨てました。もはや「老いらくの恋」などとはいわせません。言っていいけど気にしないだけです。ひとなんて発露してなんぼのもんですから、ドンドンといけばいいのです。

恋なんて知らない、もう忘れたわという貴女。でも焦がれる気持ちは奥底に眠っているはずです。いまさら言われてもどうしたらいいか、なんて迷いがあるなら、まずは音楽、ミュージックからはじめてはいかがでしょう。

たとえば、ライブ。大きなドーム公演なんかじゃなくて、そう、武蔵小山あたりの気のおけない小さなイベントスペースでやっているようなライブがいいでしょう。ちょうど今度の土曜日、26日ですね、やってます。「耳なしフランケン」による、適度にゆるいフォークライブがあります。いかがでしょうか。もう一度、恋の階段をのぼる、そのきっかけをライブカフェからにしてみませんか。お店の名前もそれにふさわしい「アゲイン」です。アゲイン、ラブ・アゲイン。人生はシンメトリー。

お待ちしています。

(8)不測の事態講座「耳なしフランケンを予習せよ!」

三月にはいって、いよいよ次回のライブの予感がうっすらとではあるが、漂いだしてきた。こうなると宣伝部長としての血が騒ぎ出すというものですな。しかし26日か。まだまだあるな。それまでせんべい屋でバイトでもしようかな。うう、やっぱり宣伝したい。フライング気味の宣伝活動には、なにがいいかと考えたところ、おおそうだ、みみフラの曲を広くみなさんに知ってもらうというのはどうだろうと思いついた。それには先日、アカウントを作ったばかりのサウンドクラウドを使わない手はないと、またまた大奮闘しましたともさ。

ということで、ドーンと、みみフラオリジナル『長生きがしたいな』です。去年のライブの音源ということもあって、間違いなんぞ、そんな細かいことは言いっこなしでよろしくたのみます。

みみフラ初心者、あるいはライブどうしよっかなと迷っているあなたに、お試しで聞いてみて、その上でライブに行くかを決めていただきたい。そんな身を削った企画であります。

でもさ、これをアップして、次回ライブでお客さんが来なかったら、それは宣伝的に「逆効果」になるわけだ。しかし宣伝は、打ってこそ宣伝でしょう。ひとりでも客席にひと(ペット可)がいれば、公演中止はしませんともさ。